ホーム > 高澤観音について
自然の幽境 重要文化財
日龍峯寺(高澤観音)
寺伝によると岐阜県下最古の寺で、大日山日龍峯寺と称し美濃西国三十三ヶ所一番札所の観音霊場である。
俗に高澤観音と称し本尊千手観音菩薩は商売繁盛家内安全、安産子授けなどでよく知られ、毎月第三日曜の本尊命日には善男善女の参詣も多く盛況を呈している。
この寺は海抜283m高沢山の中腹に位置しこの山より眺める飛騨、美濃、伊吹、養老の連山は限りなく美しく数百坪に及ぶ境内は古木鬱蒼と繁り自然の幽境観音霊地にふさわしい天下の景勝地である。
春は桜、山つづじ、夏は蛍狩り、津保川の鮎の友釣り、秋は紅葉、味覚の栗、松茸と自然豊な名所であり、高沢山山頂より奥長良美濃市に至る尾根の山道は総理府指定のハイキングコースで憩いの場として推奨し得る稀に見る霊峰である。
両面宿儺伝承の寺
寺伝によると仁徳天皇の時代(五世紀前半)、飛騨の国に両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がいた。
両面宿儺は当地の豪族として権勢を誇っていた。この異人天皇の叡聞に達し都に上り、御対面した。
その帰り、美濃加茂野ケ原で休憩していると、どこからともなく鳩二羽が不思議なさえずりをなして、高沢の峰に飛び去った。
異人不思議に思い里人に尋ねると、『高沢の山脈に池あり、神龍住みて近郷の村人に危害を及ぼす』と聞き、はるかの峰に登り大悲の陀羅尼を唱え神龍を退散させこの峰に寺を開創したという。
◎両面宿儺の御開帳(年に一度十一月の第三日曜日)
本堂
岐阜県指定重要文化財
本堂五間四面入母屋造り桧皮葺で山頂傾斜地の岩山に建立す。
前方は舞台づくりで京都の清水寺によく似ており、美濃清水の異名で世に知られている。
鎌倉尼将軍北条政子寄進の本堂は惜しくも応仁文明の乱により戦火の犠牲となり焼失し、現在の本堂は寛文十年(江戸時代)の建造物である。
多宝塔
国指定重要文化財
鎌倉尼将軍(北条政子)の御代天下大いに旱して五穀稔らず尼公或夜の夢想に何処からともなく神龍飛来『日龍峯寺に池あり法華経を書写し供養して彼の池に入れば多雨たちまち降りなん』と云って池に飛入するを見て夢さめり。
尼公は道運と云へる沙門に命じ法華経十部を書写し供養して池に入れ祈り給ふ、即忽にして霊雨あり五穀実るとその謝礼として将軍家より荒廃しつつある七堂伽藍残りなく再興され寺領として八拾町歩の所領を給ふ。
この多宝塔は将軍家建立になる唯一の建造物で明治二十七年国特別保護建造物指定、昭和二十五年重要文化財指定となり鎌倉時代を代表する全国屈指の建造物であり約八百年を経過した文化的遺構である。
住職挨拶
第四十三代住職 室賀 経秀
日龍峯寺のホームページにようこそお越しくださいました。日龍峯寺は、高沢山中腹に建てられた緑多い山の中にある密教の古寺で、古い歴史をはじめ、ハイキング、山登りもでき、自然を肌で感じ心が浄化されます。
御本尊は千手千眼観世音菩薩。通称で高沢山の観音様から高澤観音と親しまれています。
境内には七堂伽藍、北条政子寄進の多宝塔や京都の清水寺と同じ造りの本堂と歴史的建造物があります。
毎月第三日曜日は御本尊様のご縁日、庫裡では手打ちそばを食べることができます。
御参詣を心よりお待ちしております。
合掌
日龍峯寺 御朱印
庫裡納経所にて受付(縁日は本堂)
9:00~17:00
日龍峯寺(高澤観音)では、お参りいただいた上でご希望の方に、御朱印をお書きしております。
①大悲閣(千手観音の意)
美濃西国三十三観音霊場第一番札所
②弘法大師(真言宗の開祖の意)
中濃八十八ヶ所霊場第六十一番札所
③大日如来(真言密教の教主である仏の意)
国指定重要文化財多宝塔
各種一部につき300円の山納をお願いいたします。
※住職不在時は、朱印帳に貼る手書きの用紙あり。